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2011年2月17日沢田のろうそく祭り盛大でした

 2011年旧暦小正月、2月17日に開催された沢田のろうそく祭り。
 実行委員会による開催は2年目ですが、今年がまずは目標年度でした。
 委員会の手配もよく、事前告知も行き渡り、ツアーも実施されて、昨年の倍ぐらい来たのではないかと思うくらいの盛況でした。
 白神共生機構でも応援し、集落支援の一つの実践を積み上げられたと思っています。
 来年も旧暦の小正月に開催されます。今年逃した方、ぜひ来年はご参加ください。
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近代化のなかの地域社会

 日本社会の近代化を西欧近代化と対比した場合、その特質は「上からの近代化」にあると言われてきた。すなわち、日本の近代化は、市民主導であるよりも国家主導の近代化であった。しかしながら他方で、日本の社会は、終戦直後までは地域社会の自立性・独立性の強い社会でもあり、国家とともに町や村が社会を構成する重要な単位だった。だが、戦後60年でこうした地域社会の構成は大きく変わった。
 戦前までの、「食べていくので精一杯」の状況から、戦後復興、高度経済成長を経て、1960年代から1970年代には「豊かな社会」が実現した。しかしその結果、地域社会の独立性は解消され、自治性も失われていく。もっともそれは必然的な結果でもあった。というのも豊かな社会の実現は、人々の関係を/個人と社会の関係性を、大きく変えることになったからである。それまでは人々は、地域社会の中ではじめて生きることができたし、その意味で個人と社会は常に一体であった。これに対し豊かな社会の中では、人々は地域社会に頼らなくても生きていける。人々は――実際上は社会の中ではじめて生きているのではあるが――感覚上、社会とは独立した個人として生きることができるようになったのである。国家を除けば、我々を本当の意味で束縛するものはない(かのように感じられている)。そして今や、人々は個人でしか生きられなくなっている。
 日本の地域社会はどこに向かっていくのだろうか。日本社会においては、ある時期まではたしかに、独自性・自律性の高い地域社会が存在し、それらが地域ごとに多様な形で近代化推進に関わってきたことを確認できる。しかしながら、その近代化過程が進展していくことによって、それを推進していた地域社会の独自性・自律性そのものが失われていくこととなった。このなかで「豊かな社会」「安全で安心な生活」はたしかに達成された。しかしまたこのことは、日本の地域社会のもっていた多様性の喪失をも意味しており、近代化をある一定の画一的な方向へと協力に押し進めているようにも見える。
作道信介編『近代化のフィールドワーク』(東信堂)所収の拙著より

『津軽、近代化のダイナミズム』(2008年、御茶の水書房)について

 近代化という言葉からどんなことを思い浮かべるでしょうか。
 産業が興ること、民主主義、自由、平等、新しいものがどんどん生み出されること。
 こうした事柄から考えた場合、津軽という場所は一見、遅れたところに見られがちです。
 実際、新しいものはつねに中央から来る。周縁はいつも周縁で、中央から来るものに翻弄されたり、しめつめられたりする経験が、近代化という場合に私たちがイメージするものの代表的なものと言えるでしょう。
 そしてそうした視点から見た時、津軽のこの社会に起こっていること――いつまでもリンゴや米に頼った農業中心の経済、産業が興らないので雇用を補うために賃金を獲得しにいく出稼ぎ、つい最近まで盛んに行われた泥沼の津軽選挙、いつまでもつづいている土俗的な信仰――こうしたものは、近代以前のふるいものをいつまでも引きずって残している。そのような伝統社会の悪しき残存と思われがちです。
 この本では、近代化をこう考えました。周縁には周縁の近代化がある。これは中央で起こっている近代化とは違うものだ。たしかに変化は中央から来るが、それを受け入れる周縁にはまた、周縁独自の近代化がありうる。
 例えば、民間の土俗信仰や伝統芸能とよばれるものも、もとをたどると意外に新しいもの、明治以降になるものが結構多い。そしてそうしたものは幕末から明治以降発達していく民間の人々の活動の活発化、交流の広域化の中で生まれたものが多い。津軽三味線なども近代の産物である。そして、この本の中で作道先生が説くように出稼ぎもそうだし、また私が丹念に分析した津軽選挙も、民主主義を実現する選挙という制度がもたらされたところで、これをこちら側の都合で都合良く解釈して、独自のゲームのように組み替えていったところに本質がある。なおこうしたギャンブル性などは、またべつの機会に津軽学で取り上げる必要があるようにも思います。
 急速な変化は、それがよいものであれ、わるいものであれ、私たちに不安をもたらします。今この世紀転換期はまさにそのような時代です。そうした不安に対して、この周辺の地・津軽では、「ここではこうする」「ここではみんなこう考える」という作用が働いて、その変化を自分たちの文脈の中に上手に組み込むことが行われた。そうしたことが津軽の近代文化の根本にあり、そしてそれは芸術や文学・文芸、あるいは芸能の世界などで、とくに強くその能力が発揮された原因になっていると思います。
 ここでは「周縁」を良い意味で使っています。いまはすべて東京一極集中。弘前でも郊外に出れば、日本のどこにでもある風景が広がってしまった。この間びっくりしましたが、市浦の海岸の漁村で子どもたちが遊んでいるのに声をかけたら、海岸でDS・ゲームをやっている。みんな国民すべて同じ人間にさせられていく中で、周縁という場所はそれでも、「こっちではこうだ」と考え、そして中央から来るものに対して違和感や、拒絶感を伴いながらそれを客観的に見ることができる。これは生きていく上での強みだと思いますし、そうなっていかなければならない。
 とはいえ、青森県も1980年代からは人口減少に入っていますし、いま急速に少子高齢化が進んで、限界集落問題も全国並みに深刻化する兆しが見え始めています。周縁ならではの気骨ある精神性をいかにして維持していくか。津軽学の試みは、そうしたものでなければならないと考えています。

人口から見る津軽の人生 世代の転換と継承をめぐって

 青森県は日本列島の再周縁部にありますが、人口の推移で見ると、ごく最近、1980年代くらいまで人口増加を経験してきた地域です。
 お隣の秋田県、岩手県などは、人口ピークは1960年代。それに比べると過疎化の遅れた地域です。
 さらには、人口高齢化も、青森県の進行は遅れました。
 しかしいま、他の過疎高齢化県に、青森は急速に追いつきつつあります。
 全国的に見て、青森県の人口推移は特徴的です(そしてなぜか、同様に宮崎県も独自の動きをしています)。なぜ、青森県でそのような特徴的な人口変動が見られたのか。
 詳しくは、拙著『津軽、近代化のダイナミズム』(御茶の水書房)も見ていただくとして、こうした人口変動を読み解く鍵として、「昭和一桁生まれ世代論」を展開しています。
 昭和一桁生まれは、戦前の教育を受けた最後の世代です。戦前の社会体制の中で大人になり、多くがそのままの生活スタイルを維持してきました。
他方で、戦後の大きな社会変革を推進してきたのもこの人たちです。いわば戦前と戦後の転換期を象徴する世代です。
 この世代が今、80歳代に入っています。過疎地の多くはこの世代を中心に生活が営まれてきました。この世代が地域から退出を始めた時、多くの農山村がどうなるのか。
 私たちは世代の転換という視点から、2010年代を見直す必要があるようです。戦後社会は、意外にも、世代の観点からいうと、ようやくこれから終わりを告げるのです。
(『津軽学 第2号』(2006年、津軽に学ぶ会)より)

新屋地区における住民主導の公共交通計画

新屋地区における住民主導の公共交通計画
バスを将来に向けて維持するために、誰が何をしなければならないか?
弘前大学人文学部 山下祐介(公共政策・社会学研究室)

1.注目されている、平川市と弘南バスの社会実験
 2009年12月16日の東奥日報でも取り上げられていましたが、いま、新屋地区で行っている高校生向けの実験バスが注目されています。住民参加型のバスでは、弘南バスの取り組みは全国的にも有名であり、弘南グループ発祥の地である平川市でも、これまで様々な公共交通をめぐる取り組みが行われてきました。
 平賀地区をまわる循環バスもその一つであり、一時、15本・100円・4ルートあった平賀循環バスは、国際交通安全学会の協力を得て、いまはやりの社会実験のはしりとしてスタートしました。この実験は世間の注目を集め、こうした住民参加型の公共交通維持の取り組みについては、土木学会が青森県で開催されるなど、全国の関係者の熱い期待を背負っていました。

2.住民参加はむずかしい?社会実験が本当にめざすもの
 しかしながら、住民の皆さんはよくご存じのように、この実験は失敗に終わりました。実はたしかに利用者は増えました。2004年上半期には、前年同時期2万3千人だったものが、ほぼ倍の4万2千人まで伸びています。利用者だけ見れば画期的な延びと言えるでしょう。しかし、この実験で予測されていた数は、実はその3倍から4倍でした。その数字をもとに採算性も計算されていたため、採算性の面からすぐさま便数が減らされることになりました。1日15便は8便(4ルート)へ、そして2007年には5便(2ルート)・3便(2ルート)へと次第に縮小していくこととなります。
 この実験、なにに問題があったのでしょうか。
 私はこう分析しています。利用者の予測は、ここではアンケート調査が使われています。聞き取りもなされていますが、要するに、地区住民に対して、「あなたはこういうサービスが用意されたら使いますか?」と質問して、それに「利用したい」と言った人の数を積み上げて計算しています。皆さんが「利用する」と答えた結果を積算して、需要予測を作ったわけですが、実際にサービスを始めて見ると、それほど利用してもらえなかった。「利用したい」と言った人が、言ったとおりに利用してくれていればこの実験は成功したんです。しかし、「利用したい」と言った人が利用しなかった。
 15便が8便に減便した際に、皆さんの中では「ほらみたことか。過剰な予測をして」と笑っていた人があったのではないでしょうか。しかし、予測調査をした方はした方で、答えた皆さん方に、「利用したい」と言ったのに、だまされた、と思っているかもしれません。
 私は社会学者ですから、アンケートの回答は信用していません。「利用したい」と言ったからと言って、利用するとは限りません。意識と行動は別ですし、人間は口先だけなら綺麗事を言います。数値を素朴に信じた方にも問題があると言えば言えます。
 しかし、これは社会実験です。社会実験には失敗はつきものです。もちろん失敗はない方がいいですが、失敗でかかったコストは、その失敗を反省して、次の新しいやり方を工夫する糧として利用されなければなりません。この実験に懲りて、役場や専門家は、多少意気消沈してしまったようにも見えます。私はこの実験には何ら関わりがありませんでしたので、まずはこの実験を反省することから、平川マイバスの会での活動に参加しました。
 何が問題だったのでしょう。住民参加はむずかしい。アンケート調査などは、これだけで住民の本意を聞いたことにはならない。それどころか、アンケート調査という手法は、住民をいつまでもサービスの受け手にして、公共交通を残すために、住民自身がどんなふうに行動すべきなのか、それを認識することにすらつながらない。しかし、公共交通を残すのは、市役所のためでも、研究者のためでもありません。ここに暮らす皆さん自身のためです。

3.考えなければならないこと 将来の地域づくりは誰のため?
 私は、いま過疎問題を研究しています。過疎問題は1960年代に現れてきた現代社会問題ですが、当時、離島や山村で、集落が実際に消滅したことがあります。その際、集落消滅の理由、逆に言えば集落維持の条件はなにかが研究され、興味深い結果が残っています。5つの条件があるという結果でした。それは、水、医療、交通、電気、教育でした。このうち一つでも欠けると地域社会は崩壊するとされていました。高度経済成長期を越えて、日本社会の生活スタイルが大きく変わったとき、社会のどこにでも得られるようになったこれらの条件が、当時欠けていた地域。そこで社会の崩壊が起きていた、ということです。
 これは1970年代の研究です。いま過疎地をまわっても、どんな山村でも、どんなに雪深くても、これらの条件が一つでもかけている集落はないと思います。
 しかし、2000年頃から状況は変わってきたようです。いま、過疎地で足りないとされはじめているのは、医療、交通、仕事の場所です。本当は学校も急激になくなっているのですが、子供がいないので問題にならないだけで、本当は切実な問題です。これに買い物する場所を加えて、5つ―医療、学校、交通、仕事、買い物―が現代農山村生活の必要条件と私は考えています。
 ここでは交通について考えてみます。バス・鉄道といった公共交通の利用者は、主に高齢者と高校生です。高校生の数は減っていますが、高齢者の数はそれを超えて増えています。単純に考えると、今後、バスの利用者は順調に増えそうです。
 ところが実は、平川の循環バスは、年々利用者が減り続けています。どうもこういうことです。高齢者が増えると言っても、自動車免許を持った高齢者が増えているのです。逆に、自動車免許を持たずに過ごしてきた、大正生まれくらいまでのお年寄りが、バスにも乗れなくなって、利用者が減っているようなのです。子供の数もどんどん減っています。バスは今後不要なのでしょうか。
 予測はつねに外れる可能性を持っていますが、常識的に考えて、5年後、10年後には、高齢者のうち、とくにいわゆる後期高齢者の割合が増えてきますので、今まで自家用車を使っていた人が、そろそろ運転がきつくなる。場合によっては、病気や怪我などで運転できなくなる。さらには、これまでは2世代、3世代の大家族が多かったわけですが、一人ぐらし、二人暮らしも増える。お年寄りの生活を支えるのは子供たちですが、その子供たちの数が少なくなっているはずです。さらには、もしバスがストップしてしまうと、冬期間、子供たちが学校に通えなくなる。どうせ学校に通わせるなら、もっと高校に近い場所に家を持とうかと言うことになり、ますますこの地域から出ていく人が増えるだろう。
 要するに、公共交通は生活基盤の一つですから、水道や電気などと同じで、それがなくなると基本的な生活の形、社会の形が保てなくなる可能性があるわけです。実際に、僻地と言われるところがそうであったわけで、そうしたところが今、高齢者ばかりの子供のいない限界集落と言って問題にされているところです。
地域づくりは誰のためにやるのでしょう。それは自分たちのためです。しかしなにより、子供や孫たち、次の世代たちのために、将来問題が起きないよう、準備しておくことではないでしょうか。
 公共交通、バス・鉄道は、ここ平賀地区では当たり前で、空気のようなものかもしれません。しかし、もしそれがなくなったら、ここで安心して暮らすことはできるのでしょうか。地球温暖化でCO2削減などと騒いでいますが、それ以前に、自分たちの生活の安心・安全を確保しておくことの方が先決のような気がします。

4.町会の役割を考え直す 住民参加型過疎バス10年の取り組み
 では具体的に何に取り組めばよいのでしょう。そして誰が取り組んでいくべきなのでしょうか。
 私は、行政や専門家が取り組む前に、まずはここに暮らす住民自身が取り組むことが必要だと思っています。
 とはいえ、個人個人では何の解決も導き出すことはできないでしょう。組織や集団の力が必要です。そこで最近は、NPOや市民活動団体が注目されたりするわけですが、ここ平川市で公共交通を考える場合には、私は町会を起点に議論を始めるのがもっとも効果的だと思っています。
 町会は全戸加入です。財政も持っています。役員もいて、監査もあります。いわば、小さな自治体です。そしてなにより、地域的なまとまり、領土の中に生きています。ある土地の中に住む人々の運命共同体です。
 交通は、ある場所と場所を結ぶことですが、これを個人が自由に買う市場サービスであるかのように捉えたところに間違いがありました。公共交通は、個人と機関(病院・学校・商店・職場)をつなぐものではなく、地域と機関をつなぐものです。それは文字通り公共的なもの。ただしここで言う公共とは、「お上」のとではなく、「オオヤケ」、みんなの上にある重しのような、規範のようなもののことです。
 オオヤケは、今いる人との間だけでなく、私たちの先祖から、これから生まれてくる子供たちまで、時間を貫いて過去から未来へとつながるものです。地域にとって、子供はある親の子であるだけでなく、地域の子供たちです。お年寄りの生活を支えるのも、その子供たちであると同時に、地域であるべきです。逆にその地域に暮らす限り、子供であれ、お年寄りであれ、安心して生活できる。それが「良い」地域です。公共・オオヤケとは、責任や義務を強く押しつけますが、その反面でここの生活を守ってくれるものです。これまでは国や自治体が守ってくれましたが、これからはそう十分にはやってくれない。それを補うのはやはり地域であり、その軸に町会という仕組みがもう一度使えそうです。
 ここである事例を紹介します。
 弘南バスは住民参加では先駆的な会社だと最初に述べました。1990年代中頃に過疎地域3路線で試みられた住民参加型バスは、全国でも有名なもので、いまでもそのうち2路線が現役で動いています。
 鰺ヶ沢町深谷地区では、3集落があつまり――平成21年現在で、60戸、170人ほどが暮らしています――、各戸毎月1000円(のち2000円)の負担を決めて、負担金を町会から選出されたバス運営協議会の役員が直接全戸を回って毎月回収して維持しています。それでも赤字なので、町の負担、バス会社の負担があるわけですが、住民自身の「バスは必要」という意思が表明されていることで、いまのところ適正に維持されています。住民には、「いまは仕事などもあって自動車を使っているが、将来からだが悪くなっても、バスがあるからここで安心して暮らせる」と、バスの維持がここに生きる大切な条件になっています。
 本来、町会はかつての「部落」、もともとの「村」であり、そこでいろいろな問題を解決してきたはずです。水や燃料の確保、災害対応、犯罪や事件への対応、様々な社会的弱者への支援、多くのことをやってきました。二十一世紀の時代の転換期の中で、もう一度、この地域の持っている問題解決能力を高める必要が出てきているようです。

5.平川市で試みた募集型実験 新屋町会の先駆性
 いま、新屋地区で、高校生向けの実験バスが実施されています。この実験の経緯についてお話ししましょう。
 これまで述べたようなことをふまえて、平成21年度に導入された平川市地域公共交通協議会による実証実験では、どこにどのような路線で実験を行うかについて、行政や専門家で決めるのではなく、ましてアンケートで決定するのではなく、住民自身からの提案、なかでも町会自身が行う実験を実現しようと言うことになりました。ちなみに、この協議会には、マイバス会から佐藤会長をはじめとして数名が委員になって参加しています。私もその一人です。
 協議会ではまた、採算性の面からも目標をはっきりと設定することとしました。今、バスは市からの補助金で赤字補填することで運営が成り立っています。行財政にも限りがありますので、その限界を設定し、そこから、「この路線では、何人乗れば、実験は成功と見なし、残す(残せる)」という具体的な数字を掲げることにしました。
 町会長の集まりに同席し、実験の意義を説明。実験に参加してくれる町会を募集したところ、手をあげたのが新屋町会です。町会での会合に専門家や行政が出向いて協議を重ねて、今回は、便数の縮小でなくなってしまった高校生の通学バスを確保する実験の実施を決めました。
 具体的にどう進めたかは、新屋の斉藤町会長から詳しい説明があると思いますが、非常に興味深い結果が出ています。
 まず第一に、同様に高校生の朝のバスを再生しようとして、昨年度、唐竹でマイバス会が実験したことがあったのですが、その際はアンケートで聞いたり、会合を開いたりしたものの、結局ほとんど乗ってもらえませんでした。今回の新屋のバスは、高校生たちが積極的に乗ってくれています。乗ってくれている理由は、高校生たちに聞くと、「親が乗れと言うから」。町会が開催するバス路線の打ち合わせには、高校生の親たちが毎回10名ほど集まって議論しています。親たち自身が自分で決めた路線ですから、当然、子供たちは自分たちのためにやってくれていること理解して、バスにあわせて行動し、乗ってくれるようになりました。このことは実は、交通の問題以上に、子供たちに親と子の関係のあり方を認識させ、また町会との関係を自覚させる、社会教育的な効果が高いようにも思います。
 しかし第二に、問題にも直面しています。利用者数が目標値に達していないのです。高校生も、通学先や学年、部活の有無などで生活パターンに個人間で開きがあります。乗れるのに乗っていない人はほとんどわずか。12月の通学日誌を見る限り、みんな乗っている状態のように見えます。ダイヤを調整し、さらにバスにあわせた生活をお願いするか、料金を見直す、あるいは子供を持つ親だけでなく、町会のみんなで負担の一部を考える。こうしたことが必要かもしれません。

6.公共交通の公共性とは? ふるさとは生き残れるか?
 今検討されている、最も手っ取り早い解決策が、隣の尾崎と一緒に運営することです。
これがもし実現できたら、たいへん面白い、平川全体に波及するような可能性のある実験が実現するように思います。個人個人では何も解決できないから町会で。1つの町会では解決できないなら、複数の町会で。
 これまで、公共サービスは、国から、県から、市町村から、一方的に受け取るだけでよかったかもしれません。しかしそれは90年代前後のバブル経済という時代の、一時的な異常な社会現象だったと考えるべきです。
公共性は、上から与えられるのと同時に、下から作り上げるものでもあります。
 よくよく考えれば、自分の生活は自分で作るものです。人が与えてくれるものではありません。地域も同じです。自分たちで作る地域だから、ふるさとなのです。ふるさとは遠くにありて思う人もいますが、それもその人がふるさとだと思うから、ふるさとなのです。ふるさとは与えられるものではありません。

7.住民、行政、そしてNPOの役割
 このような町会の取り組みがあって始めて、行政や我々NPOや、専門家の専門的知見やアンケート調査などが、意味のあるものになるのだと思います。
 とはいえ、どの地域でも、おそらくこういう問題を抱えているのではないでしょうか。住民がワガママになってきて、文句ばかり言う。リーダーもそんななか、がんばってもいろいろ言われるだけなら、もうあまりがんばりたくない。まして、少子化・人口減少が社会の趨勢なら、これにさからっても仕方がない。要するに、なにをやってもどうせうまくいかない、という諦めが大きくなっていないでしょうか。
 行政やNPOも、しばしば、国の制度や補助金に振り回されて、住民の生活そのものを見なくなってきていた事情があったように思います。でも、自治体財政難の中、行政職員の意識も少しずつですが変わってきています。研究者も変わりました。NPOなどで、ボランティアとして活動する市民も現れ始めています。ここ平川では、やる気のある地域・町会を、行政や専門家、市民が積極的に応援する。そういう気運を高めることで、地域・町会のあり方も大きく変わってくるのではないでしょうか。むろん、その競争の中で、生き残る地域、消える地域が出てくることを望むものではありません。それぞれの地域のやる気を醸成させながら、みなで助け合い、場合によっては、より有利な地域が不利な地域を助けていくことも必要です。他方で、地域ごとに持っている資源は様々です。平賀には平賀の、尾上には尾上の、碇ヶ関には碇ヶ関の、他にはないそこにしかないものがあります。地域・町会が、お互いに相手を認め合いながら、お互いに高めあう。そうしたことが必要なのだと思います。
 ここでは交通の問題だけを取り上げました。しかし、このことは医療・学校・買い物・仕事の場、すべてに当てはまることだと思います。
(平成22年1月30日(土) 於平川市文化センター シンポジウム「新屋発! 未来を運ぶバス」より)

プロフィール

yamasso

Author:yamasso
白神共生機構(SSO)代表
山下祐介(yama)
および白神共生機構会員によるブログです。

NPO法人 白神共生機構が立ち上がりました。
 このNPO法人は、私たちが
  白神山地の
   森 と 人 の 共生
を作り上げていくためのものです。

このブログでは、本機構の活動内容を紹介していきます。
 とともに、
白神山地周辺の人・社会・自然環境の状況について広く解説していきます。

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