危機管理におけるコミュニティと、ボランティアの課題 (7)青森県の事例から
私はいま青森県で活動していますので、森の事例を少し紹介しましょう。
限界集落では、青森県鰺ヶ沢町深谷地区での取り組み。私も代表を務める、白神共生機構と大学のうちの研究室、鰺ヶ沢町役場との連携で応援しています。ここでは、地域に戻ってくる予定の人のために、地域に稼ぐ手段ができないか、3つの町内会の連携で話し合い、模索をつづけています。
農村での事例では、私も役員で参加している、公共交通問題をめぐる青森県平川市での社会実験をあげておきます。
たとえばこのような事例を挙げることができますが、原理は、地域づくりや地域おこし、あるいは中心市街地の活性化、郊外型住宅団地の再生においても同じことがいえます。地域問題の解決は、コミュニティが中心になるべきです。ただし、コミュニティのみでは、いまや自ら自分たちに問題提起することも難しい。とくにリスク問題は、なかなか問題提起しにくいものです。ここで取り上げた公共交通も、今は問題ない、しかし高齢化が進む将来においてどうなるかというリスク問題です。そうしたところから、住民の認識を高め、地域問題解決のために住民を動員する行政の役割は大きいわけですが、行政が推進すると、今度は住民の依存体質が出てしまって物事がなかなか前に進まない。これに対し、ここでは地元住民と、大学の専門家の混合部隊であるNPOが間に入って関わることで、地域問題をあぶりだし、地域コミュニティに直接投げつけ、解決へつながる道を模索しています。
こうした事例、過疎集落の再生や、公共交通問題、あるいは地域おこしが、防災とは関係ないと思っている人は、防災というものをもう一度十分に考え直す必要があります。
防災を、防災だけで考えていては、今の地域住民の関心は低い。むろん、隣町で大災害があったとか、裏の山が崩れたとか、そうしたことが具体的にあれば、その時はその地域で防災問題に取り組むチャンスです。でも、人はいつまでも災害のことばかり考えてはいません。いつ大災害で死ぬかもしれないなどと、毎日考えている人は不幸です。以前、ある著名な防災学者が監修するビデオで、大地震が来た時の防災グッズを毎日枕元において寝るようにというのがありましたが、本当にそんな人がいたら、この人は大変変わった人です。
冒頭にも述べたように、戦後世代の多くは、コミュニティを十分に育ててこなかった。しかしまた、むろん、まったく失ったのでもなく、みな何らかの地域社会には属している。大都市のマンションでも管理組合があって、それが町内会と同じ役割を担っているはずです。個人情報法以来、この十数年のコミュニティ解体は大きいような気がしますが、90年代くらいまでなら、みな何らかの形でコミュニティに属していたはずです。
防災を考えるためには、そもそも、このコミュニティの再生を意図的に推進していくことが不可欠です。
でも、コミュニティごとに関心ある問題、抱えている課題はまちまちです。子供たちの通学が心配だという地域もあれば、近所にスーパーがなくなってお年寄り買い物の場所を確保するのが問題という地域もあるでしょう。つながりそのものが希薄なので、夏祭りでもやりたいのだが、という一見、地域問題解決とつながりのないようなものさえ、実は、防災のベースとして非常に大切なものなのだという感覚を持たなければなりません。
逆に言えば、そこまで日本のコミュニティは落ちるところまで落ちたのだということかもしれません。でもまたそれは、この半世紀ほど、少なくとも平成になってからの20年ほど、いくつかの災害を除けば、かつてのような命の危険のある、また財産を失って路頭に迷わなければならないような、決定的な災害経験を皆が受けることなく、平穏に過ごしてきたということの証でもあります。
リスク問題。これをどのように提起し、対応できる地域社会を作るのか。これが私たちの課題です。そして、地域社会の共同の新しいツールであるNPO・ボランティアの可能性も、そうした地域社会再生の中に、しっかりと見出していかなければなりません。これらはそもそも、文脈をたどれば、そのために現れてきたものだと言えなくもないわけですから。
(おわり)
限界集落では、青森県鰺ヶ沢町深谷地区での取り組み。私も代表を務める、白神共生機構と大学のうちの研究室、鰺ヶ沢町役場との連携で応援しています。ここでは、地域に戻ってくる予定の人のために、地域に稼ぐ手段ができないか、3つの町内会の連携で話し合い、模索をつづけています。
農村での事例では、私も役員で参加している、公共交通問題をめぐる青森県平川市での社会実験をあげておきます。
たとえばこのような事例を挙げることができますが、原理は、地域づくりや地域おこし、あるいは中心市街地の活性化、郊外型住宅団地の再生においても同じことがいえます。地域問題の解決は、コミュニティが中心になるべきです。ただし、コミュニティのみでは、いまや自ら自分たちに問題提起することも難しい。とくにリスク問題は、なかなか問題提起しにくいものです。ここで取り上げた公共交通も、今は問題ない、しかし高齢化が進む将来においてどうなるかというリスク問題です。そうしたところから、住民の認識を高め、地域問題解決のために住民を動員する行政の役割は大きいわけですが、行政が推進すると、今度は住民の依存体質が出てしまって物事がなかなか前に進まない。これに対し、ここでは地元住民と、大学の専門家の混合部隊であるNPOが間に入って関わることで、地域問題をあぶりだし、地域コミュニティに直接投げつけ、解決へつながる道を模索しています。
こうした事例、過疎集落の再生や、公共交通問題、あるいは地域おこしが、防災とは関係ないと思っている人は、防災というものをもう一度十分に考え直す必要があります。
防災を、防災だけで考えていては、今の地域住民の関心は低い。むろん、隣町で大災害があったとか、裏の山が崩れたとか、そうしたことが具体的にあれば、その時はその地域で防災問題に取り組むチャンスです。でも、人はいつまでも災害のことばかり考えてはいません。いつ大災害で死ぬかもしれないなどと、毎日考えている人は不幸です。以前、ある著名な防災学者が監修するビデオで、大地震が来た時の防災グッズを毎日枕元において寝るようにというのがありましたが、本当にそんな人がいたら、この人は大変変わった人です。
冒頭にも述べたように、戦後世代の多くは、コミュニティを十分に育ててこなかった。しかしまた、むろん、まったく失ったのでもなく、みな何らかの地域社会には属している。大都市のマンションでも管理組合があって、それが町内会と同じ役割を担っているはずです。個人情報法以来、この十数年のコミュニティ解体は大きいような気がしますが、90年代くらいまでなら、みな何らかの形でコミュニティに属していたはずです。
防災を考えるためには、そもそも、このコミュニティの再生を意図的に推進していくことが不可欠です。
でも、コミュニティごとに関心ある問題、抱えている課題はまちまちです。子供たちの通学が心配だという地域もあれば、近所にスーパーがなくなってお年寄り買い物の場所を確保するのが問題という地域もあるでしょう。つながりそのものが希薄なので、夏祭りでもやりたいのだが、という一見、地域問題解決とつながりのないようなものさえ、実は、防災のベースとして非常に大切なものなのだという感覚を持たなければなりません。
逆に言えば、そこまで日本のコミュニティは落ちるところまで落ちたのだということかもしれません。でもまたそれは、この半世紀ほど、少なくとも平成になってからの20年ほど、いくつかの災害を除けば、かつてのような命の危険のある、また財産を失って路頭に迷わなければならないような、決定的な災害経験を皆が受けることなく、平穏に過ごしてきたということの証でもあります。
リスク問題。これをどのように提起し、対応できる地域社会を作るのか。これが私たちの課題です。そして、地域社会の共同の新しいツールであるNPO・ボランティアの可能性も、そうした地域社会再生の中に、しっかりと見出していかなければなりません。これらはそもそも、文脈をたどれば、そのために現れてきたものだと言えなくもないわけですから。
(おわり)
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